2025
IBaR以外の友人知人と共通内容
ver.2.0
新年おめでとうございます。
15年ぶりに
新しいカメラを
買いました。
SONY α7C II
ミラーレス フルサイズ
コンパクトで高性能
3,400万画素
TAMURON 90mm MACRO
15年間 愛用したカメラはフォーカス精度が甘く、シャッターチャンスを何度も逃して、くやしい思いをしていました。そこで熟慮の末に、SONYミラーレスカメラを購入。最先端テクノロジーを、ギューっと詰め込んだ新鋭機です。
仕事の立体作品や趣味の野花の撮影が目的ですが、試しに知人女性を撮ると、プロカメラマン並みの美しい写真になりました。髪の毛1本1本がクッキリ解像し、背景は柔らかなボケ模様。瞳にピントが合い、表情の一瞬の輝きをとらえました。
これは楽しい! ドーパミンが出ました。
久々に写真撮影に意欲がわきました。遊びで撮っているうちに創造力が刺激され、新たな何かが生まれる予感がします。
今年が皆さまにとって良い年になりますように。
myカメラ遍歴
人生で
最初のカメラ。
自分のカメラを初めて持ったのは、小学4年生の夏。趣味人の叔父から頂いた、年代物のお下がりでした。
上部の蓋を開けると、曇りガラスのスクリーンにぼんやりとした像が見えます。「晴れているので、絞り8かなあ‥‥」と、勘に頼るアバウトな手動式。フィルムの規格が特殊で、近所のカメラ屋さんに取り寄せてもらいました。上の写真はイメージです。記憶の中のカメラとは微妙に違いますが、全体の雰囲気はこんな感じ。旧式の素朴なメカに、技術者の夢や希望が滲(にじ)んでいるようでした。
小5の筑波山遠足で、急坂を転げ落ちてカメラと体を樹木に強打。頭の周りにいくつもの星が輝き、カメラはバラバラになり、レンズはコロコロと坂を転げて行きました。後年、梶井基次郎の短編小説『路上』※を読んだとき、このシーンが頭に浮かびました。
※中学の国語の教科書に載っていた。
人生で
最初の現像体験
日光写真/5〜6歳ごろ、近所の駄菓子屋で買いました。白い印画紙の上にネガを置いて日光に当てると、画像がうっすらと写ります。でも、本当の写真のようには画像の定着処理ができません。時間経過とともに感光が進み全体が暗灰色になって、画像は判別できなくなってしまいます。小さな紙にひととき現れ、やがて消えてしまう様々な画像世界。この反応に妙に惹かれて、繰り返し遊びました。
10代の愛機
カメラ小僧
小5からの ぼくのカメラは、上の写真と同じようなセレン式露出計内蔵タイプ(レンズを取り巻くギラギラしたマイクロレンズが特徴)でした。赤塚不二夫が描いた〝カメラ小僧〟よろしく、首からカメラをぶら下げて様々なものを撮りました。
見えないものが写った!
ニッサン新型車の発売キャンペーンで、水戸・千波湖で、新婚の小川ローザと夫君レーシングドライバーの撮影会がありました。カメラ小僧のぼくは、大人の写真愛好家たちの間をすり抜けて、一番良い位置で撮影したのでした。
意気揚々と写真店に現像を依頼して数日後にプリントを見ると、小川ローザはミニスカートでなくパンタロン姿なのに、新婚二人の周囲になんかエロい空気が漂っています。
「写真には、見えないものも写るんだ」
驚きの発見でした。
小川ローザ/流行語「Oh! モーレツ」と共に一斉を風靡した。
写真の本質は一回性にあり
千波湖で新婚の小川ローザ夫妻を撮影した数ヶ月後、新聞の片隅に「小川ローザの夫、レーシングドライバー事故死」との小さな記事が載りました。目の前で撮影した著名人の突然の訃報は、衝撃でした。
世界は刻々と変化していき、後戻りしない。写真はその変化する流れの一瞬を切り取るものなのだ。手元に残った二人が笑う白黒プリントをながめて、写真撮影の一回性を強烈に思い知りました。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。」
20代以降の愛機
すべての機種が今も手元にあり、
T90以外は作動します。
NIKON Nikomart
美術大学入学時に購入。
ピント、絞り、フィルム送り、すべて手動。
青春の様々な光がこのレンズを通過しました。
1986年
Canon T90
オートフォーカス前夜
単三電池を何本も装填するモータードライブ
Tシリーズ最高機種
フィルム
1996年
FUJIFILM TIARA ZOOM
このカメラを持って色々な島を旅しました。口永良部島(屋久島の近く)、御蔵島、礼文島、瀬戸内海の島々、神島(三島由紀夫『潮騒』の島)
1989年
SONY CCD-V900
ビデオ新規格 Hi8第1号機
重さ2kgぐらい
当時20万円弱で購入
子どものアトリエでの〝コマ撮りアニメーション制作〟や活動記録に大活躍。
デジタル
2000年
OLYMPUS CAMEDYIA
330万画素
当時は、この画素数で〝高画質〟
今のぼくのカメラは、
10倍の3,400万画素
2004年
Canon IXY 400万画素
2008年
Canon IXY 1,000万画素
2009年
Canon EOS Kiss X3 1,500万画素
2016年
iPhone 1,200万画素
スチルカメラとビデオカメラが一枚の黒い板になった究極の形。発売8年目の今でも機能・デザインに満足しています。
ぼくのカメラ遍歴をたどったら、カメラ技術の変遷や自分の活動を振り返ることにもなりました。
今年は、先端テクノロジーの結晶のようなカメラα7CⅡに、創造的で楽しく美しい世界を映したいと思います。
皆さまの心のカメラにも、素敵な世界が映りますように。
風が吹いている。
追伸
興味がある方だけに、もう少し詳しく。
映画『惑星ソラリス』※の世界が、現実になった。
(※ソ連、タルコフスキー監督のSF映画 1972年)
惑星ソラリスの〝海〟は、高度に発達した知性を持つ生命体で、宇宙ステーションにいる人間の潜在意識が欲している生き物をそっくりに造ることができます。そうして、主人公の亡くなった妻などを、リアルな命あるものとして宇宙ステーションに送り込んでくるのです。乗員の倫理観が強く揺さぶられます。
今の地球でも画像や映像ならば、人が欲したものをAIがリアルに表すことが可能になりつつあります。もうすぐ、誰でもがスマホで自撮りするぐらいに簡単に、どんな画像・映像でも生成できるようになりそうです。レンズの画角もアングルも背景のボケも解像度も、撮影後に自由自在に変えられます。そうなれば、高性能カメラも交換レンズも不要です。
このように画像をめぐるテクノロジーが劇的に進化しつつある現在、ミラーレス高級カメラを買うことは、創造に対してワイズスペンディングか。熟考しました。結論は「今、スペック的に妥協のない写真を撮りたい。少なくとも今後3年間はα7C IIが、陳腐化・無効化することはないだろう。3年使えれば、それで良し、としよう」
ところで、本当に惑星ソラリスのような科学技術が地球に出現するのは、何年後でしょうね。
『Momo』1973 ミヒャエル・エンデ
時間の花・星の時間
facebookと ほぼ同内容
ver.3.2
昨秋、ある会の写真展で感想を問われた際、いろいろモヤモヤして言語化できませんでした。その後もこの件が頭の片隅に宿題のように残っていたので、改めて考え図表にまとめました。
●「profession」の対極を「amateur」としなかったのは、プロカメラマンの写真でも「hobby」になりうるからです。「目的写真」と「手段写真」は、この座標のために考えた概念です。
●「a領域」はすでに高層ビルが林立しているので立ち入らず、空き地の残る「aとcの中間領域」で遊ぼうと考えています。
図表は、ぼくの写真観(写真とはどういうもので、どうあるべきか)を整理するために作りましたが、思いついたばかりなので公開には躊躇がありました。今後さらに修正・更新するかもしれません。
皆さまの率直なご意見をいただけたら幸いです。
新聞に書きました。『連載/茨城の山を遊ぼう』→https://www.ibar.jp/01